小松伸六ノート⑥  原田康子と小松伸六

小松伸六ノート  原田康子と小松伸六

 

昭和60年10月、『北海道文学大事典』(北海道新聞社)が刊行され、小松伸六の項に「文芸評論家として新人発掘の炯眼には定評があり、原田康子の「挽歌」にいち早く注目し」(神谷忠孝)とある。また平成元年10月に『昭和文学全集 第33巻』(小学館)が刊行、『美を見し人は―自殺作家の系譜』の「生田春月」が収録され、そこに小松の簡単な略歴が記され、「『文学界』の同人誌評で原田康子らの新人を発掘、その炯眼には定評がある」とある。この2つの記述は、少し正確ではないような気がする。

おなじ北海道の釧路を故郷とする原田康子(1928~2009)について、『文學界』の「同人雑誌評」で小松が原田に最初に触れたのは、昭和32年7月号である。『挽歌』(東都書房)が刊行されたのは、昭和31年12月だから、すでにベストセラーになって半年余りたっている。この時小松は、70冊余りの同人誌を目にして。「―とくにガリ版ずりに多いが――どこか汚れていない、清潔なものが多かった」といい、そのあと原田の「挽歌」に触れる。

 

「いま「挽歌」原田康子氏をひきあいにだせば、彼女は東京を全く知らず、文学的立志と上京を結びつけることもなく釧路から出ているガリ版の同人誌「北海文学」にひそかに連載した。しかもそれは一種のハイマート・クンストとして、具眼の士にとまり、何十萬とかいう文学外讀者までひきつける鮮やかに時流をきった出現だと思うが―。」

 

小松が『文學界』に「同人雑誌評」を書いたのはこの時初めてで、8、9月号にも「同人雑誌評」を寄せ、以後久保田正文駒田信二・林富士馬とともに昭和56年まで続けるのである。小松が『文學界』で原田康子を発掘したという記述が、正確ではないことは明らかである。ただ、それ以前に、他所で原田康子の「挽歌」に言及しているかも知れない。

小松は、昭和32年2月4日の『日本読書新聞』に「同人雑誌評 土着性こそ地方誌の特権-風土的な特異性をもつ北海道誌」(未見)を寄せているがこの時「挽歌」に触れている可能性がある。小松は、3月釧路の父伝三の危篤の報で帰郷、その時原田康子に会っていることは、「小松伸六ノート 第四次『赤門文学』」で触れた。そして4月15日の『北國新聞』に、「日本文学の土着性 『挽歌』の投げた波紋」(未見)を寄せている。かつて金沢で世話になった北國新聞社からの依頼で書かれたものと思われるが、地方新聞ゆえ多くの人の目に触れることがなかったと思われる。いずれも未見だが、どのように書かれていたのか興味深い。

それ以後小松は、原田康子についてたびたび触れることになる。6月17日の『日本読書新聞』に、原田の二冊目の単行本『サビタの記憶』を取り上げた「女流新人の小説集二つ」。7月15日の『日本読書新聞』には、原田康子の「挽歌」ブームに触れた「ムード新人論」という大きな記事を寄せる。そこには、こんなことも書いている。

 

「つい先日クシロの姉から便りがあり、いま釧路は原田康子さんの「挽歌」ブームで、〝怜子〟喫茶店、挽歌軒、〝アゲーン〟酒場など「挽歌」に関係あるお店が続出し、自動車にも挽歌号、駅のポスターまで「挽歌の北海道へ」という広告、その上六月末のある日、前大臣の鹿島守之助氏(北海道長官)が来釧の際には、激務をさいて夫婦で早朝、原田さんに面会を申し込み、ひととき閑談した由、いまにクシロ名物啄木センベイと同じようにバンカマンジュウもできるかもしれませんよと云ってきた。」

 

翌昭和33年の『旅』7月号に、小松は「二つの表情をもつ釧路」を寄せているが、「文学的な霧の街」として、石川啄木の「さい果ての街」、原田康子の「挽歌」に見る「ヨーロッパ風の街」に触れている。そこには、「釧路の海や、住宅を見下ろす丘に立つ原田さん」とキャプションのある、写真家細江英公氏が撮った2葉の写真が載っている。12月1日の『讀賣新聞』には「現代作家に望む⑪原田康子さん」を寄せ、「原田さんはせっかく釧路にいるのだから、東京のアスファルト文学の支配に対抗するような地方文学の独立性を主張する長編をぜひ見せてほしい」とエールを送る。昭和35年7月31日『読売新聞』朝刊には「よろめき夫人 日本の奥さま⑭」と題して原田康子の『挽歌』に触れ、『旅』10月号に「阿寒を描いた文学」で原田の阿寒を描いた作品に触れる。『週刊朝日』昭和41年12月9日号の「ふるさとを行く㊾北海道」では、「「挽歌」の原田康子さんも釧路を離れた」と、昭和34年に夫の札幌転勤のために釧路を離れた故郷を懐かしむ。小松は、確かに機会あるごとに作家原田康子を語り続けたのである。

その後小松伸六と原田康子は、昭和42年10月、第1回「北海道新聞文学賞」から選考委員を務めている(小松は平成8年度第30回まで、原田は平成19年第41回まで)。43年8月4日には、「釧路開基百年記念文化講演会」が釧路公民館で開催され、小松伸六、原田康子、船山馨の3人が「北海道の文学運動」と題して講演(翌年の『釧路春秋』第3号に収録)をしている。二人は、会うたびに、故郷釧路を語り合っていたに違いない。

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原田康子『挽歌』、『文學界』(昭和32年7月号)、その他