小松伸六ノート⑮ 源氏鶏太と小松伸六

源氏鶏太と小松伸六

 

文芸評論家小松伸六の残した仕事を追うなかで、一番驚いたのは源氏鶏太(げんじ・けいた、1912-1985)の文庫に寄せた「解説」の多さである。その数20冊に及ぶが、まだ確認できないものがあるかも知れない。源氏鶏太は、昭和26年に「英語屋さん」他で第25回直木賞を受賞する。その後、ユーモアあふれるサラリーマン物の小説を多数発表し、「サラリーマン小説の第一人者」と呼ばれていた。そして今日、源氏鶏太『英語屋さん』(集英社文庫)、『御身』(ちくま文庫)などが刊行され、復活のきざしが生まれている作家でもある。

小松が源氏と初めて出会ったのは、昭和27年6月、金沢の文藝春秋社の講演会であろう。未見だが、27年6月24日の『北国新聞』に「座談会 文壇人大いに語る」があり、出席者は深田久弥丹羽文雄、吉屋伸子、佐々木茂索、井上靖亀井勝一郎源氏鶏太である。その時小松も出席している。昭和38年4月にはすでに『家族の事情』(角川文庫)に解説を寄せている。昭和39年8月に出た源氏鶏太『悲喜交々』(角川文庫)の「解説」のなかに、こんなエピソードも残している。

「私も三度ほど源氏さんに会ったことがありますが、いつも微笑をたたえ、明るい雰囲気に包まれている方でした。たしか、井上靖さんが芸術院会員になったお祝いの会、といっても十五人ほどの親しい山の仲間だけの会だったのですが、そのとき源氏さんもとび入りされて、お酒がすすむと、みんなから歌をうたわされ、その上、かくし芸まで披露しろと強制されました。」

井上靖芸術院会員なったのは昭和39年1月だから、そのころの出来事であったろう。その時小松は49歳、源氏52歳である。この年の昭和39年7月には『現代の文学30 源氏鶏太集』(河出書房新社)が刊行され、小松は「解説」を寄せ、源氏鶏太の人と文学について詳しく語っている。そして11月には、『源氏鶏太自選集(限定版)』(千部、集英社)が刊行され、未見だが、ここにも「解説」を寄せている。

こんなエピソードもある。昭和43年夏、小松は、『波』10月号に井上靖との対談「井上靖氏自作を語る」の取材のため、軽井沢の井上靖の別荘を訪れ、その日井上の別荘に泊まる。

「その夜、井上さんから源氏さんが隣にいるよと言われたのでびっくりした。ちょつとお会いしたいなあと私が言うと、それじゃ来てもらいましょうと、電話をかけ、間もなく源氏さんがあらわれた。」(「源氏さんの印象とその文学」、昭和63年3月刊『とやま文学』第6号) 

その時、「文学の話はあまりしなかったように記憶する」と言っているが、井上と源氏は、ゴルフの話に夢中になったと軽井沢での出来事を残している。

そして、昭和48年5月から『愛蔵版・源氏鶏太自選集』(全20巻、講談社、昭和49年12月まで)が刊行され、小松はそこに解説を寄せたという。

「愛蔵決定版『源氏鶏太自選作品集』全二十巻(講談社)が終わった昭和五十年、源氏さんはその解説を私と中国文學者の駒田信二さんいっしょにしていただいたお礼だといって、私と講談社出版部の人々をレストランに招待して下さったことがある。そのとき、さかんに源氏さんはサラリーマンの怨念を妖怪ロマンのかたちで書いてみたいという話をしていたことを私ははっきり記憶している。」

その後源氏健太は、サラリーマン幽霊が現れる小説など「幽霊もの」「妖怪もの」を発表する。なお、『愛蔵決定版 源氏鶏太自選作品集』を近くの図書館で調べたが、本体に解説がなく、おそらく「月報」に解説を書いたと思われる。なお、小松は昭和52年には、7月刊『現代小説'76』(日本文藝家協会角川書店)に収める作品の選考を、源氏鶏太とともに務めることもあった。

さて、小松伸六が源氏健太の文庫に残した「解説」次のようになる。いずれも、掲載作品を詳しく書いている。

源氏鶏太『家族の事情』(昭和38/1963年、角川文庫)

源氏鶏太『夢を失わず』(昭和39/1964年、新潮文庫

源氏鶏太『悲喜交々』(昭和39/1964年、角川文庫)

源氏鶏太『御身』(昭和40/1965年、新潮文庫

源氏鶏太『流れる雲』(下巻、昭和44/1969年、角川文庫)

源氏鶏太『浮気の旅』(昭和45/1970年、角川文庫)

源氏鶏太『口紅と鏡』(昭和47/1972年、新潮文庫

源氏鶏太『掌の中の卵』(昭和48/1973年、新潮文庫

源氏鶏太『歌なきものの歌』(昭和50/1975年、新潮文庫

源氏鶏太『社長秘書になった女』(昭和51/1976年、角川文庫)

源氏鶏太『女性自身』(昭和52/1977年、角川文庫)

源氏鶏太『艶めいた海』(昭和53/1978年、角川文庫)

源氏鶏太『時計台の文字盤』(昭和53/1978年、新潮文庫)

源氏鶏太『優雅な欲望』(昭和53/1978年、集英社文庫

源氏鶏太『ずこいきり』(昭和54/1979年、新潮文庫

源氏鶏太『夫婦の設計』(昭和54/1979年、角川文庫)

源氏鶏太『若い海』(昭和55/1980年、新潮文庫

源氏鶏太『湖畔の人』(昭和56/1981年、新潮文庫

源氏鶏太『英語屋さん』(昭和58/1983年、集英社文庫

源氏鶏太『奥様多忙』(昭和60/1985年、講談社文庫)

小松が『奥様多忙』の「解説」を寄せたのは昭和60年3月、この年9月12日、源氏鶏太は73歳で死去、9月14日の告別式に出席、その日のことを「源氏さんの印象とその文学」のなかで回想する。

「六十年九月十四日の源氏さんの告別式は麻布の善福寺で行われたが、弔問客のなかで源氏さんに特に親しい方々がこられると奥様の泣きくずれる姿が今も目にうかんでくる。「小松さん、一番よくよんで下さった批評家として感謝します」という手紙をいただいたことも思い出す。じつになつかしい作家である。」

この一文は、昭和63年3月、源氏鶏太の出身地富山県富山市から出ていた『とやま文学』第6号「特集・源氏鶏太の世界」に寄せた「源氏さんの印象とその文学」のなかにある。このころ小松は、『とやま文学』の「とやま文学賞」の選者を務めている。長い間、源氏鶏太文学を語り、交友があった作家への恩返しで出会ったかもしれない。

*追記・2月20日、小松の解説が載った文庫、1冊追加。

*追記・2022年3月21日、小松の解説が載った文庫、もう1冊追加。

 源氏鶏太『男と女の世の中』((昭和45/1970年、新潮文庫)、計21冊。

f:id:kozokotani:20210214163556j:plain

「解説」載った文庫、『現代の文学30 源氏鶏太集』、『とやま文学』第6号の「源氏さんの印象とその文学」。