小松伸六ノート㉚ 井上靖と小松伸六(補遺)

井上靖『樓門 他七編』(角川文庫)の「解説」について

 

今年の2月25日に、「小松伸六ノート⑰ 井上靖と小松伸六」を書いたが、これもその補遺。(https://kozokotani.hatenadiary.org/entry/2021/02/25/130551

小松伸六が、昭和31年に角川文庫から出た井上靖の文庫『楼門』に解説を書いていることを知ったのは、曽根博義先生が、講談社文芸文庫井上靖わが母の記』などに書いた著書目録の「楼門(解=小松伸六)昭和31 角川文庫」(曽根博義編)という記述だが、この著著目録にはいくつかの間違いがある。曽根先生には生前大変親しくさせていただいたが、文芸評論家・小松伸六の仕事を追うようになる前に急逝され、詳しくお聞きできなかったのは残念。その間違いと思われる個所は次の通りである(傍線の箇所が正しい)。

・『戦国無策』上下 昭和30年 角川文庫(解=小松伸六)

 『戦国無策』上下 昭和33 角川文庫(解=小松伸六)

・『暗い平原』昭和48年 中公文庫(解=小松伸六)

 『暗い平原』昭和48年 中公文庫(解=奥野健男

さて、角川文庫の『楼門』小松伸六の「解説」を読みたくて、埼玉県の県立図書館などで探したが、所蔵している図書館が全くなく、長らく出あうことができなかった。私にとっては幻の「文庫」であった(昭和43年に集英社文庫、昭和57年に潮文庫として出ており、井上作品は読めるのだが)。そして、ようやく最近、それも偶然に入手することができた。

昭和31年12月発行だから、まだ文庫にカバーが付く時代ではなく、当然パラカバー、帯だけであったと思われる。入手できたのは、時代を経たシミだらけで、背文字は読めない1冊だが、私にとっては貴重な幻の文庫である。署名は、旧漢字の「樓門」(新漢字だと「楼門」)、そして「他七篇」として「早春の墓参」「鵯(ヒヨドリ)」「落葉松」「氷の下」「楼門」などの短篇が収録されている。奥付には、昭和31年12月25日初版発行とある。

小松伸六が、始めて文庫に「解説」を書いたのは、前の年の深田久弥『親友』(角川文庫)で、この年の昭和31年4月10日には、同じく深田久弥の『贋修道院 他二篇』(角川文庫*実は未見)で、3冊目の文庫「解説」である。井上靖の文庫「解説」は、全部で9冊確認しているが、これが記念すべき最初のものである。小松が、戦後金沢から高崎を経て東京に戻り立教大学のドイツ語教師として勤めた42歳の時である。小松は、この文庫に収録された短篇8作品について、次のように書いている。

「これらの小説のどこかの隅に、ばらばらの姿になって隠れている井上靖という作家がちゃんとみいだされるのではあるまいか。(中略)井上靖という作家の精神史を全體としてもとらえることができるのであるまいか。」

「早春の墓参」の解説のなかでは、井上靖か書いた伊豆の風景を長く引用し、「この短篇が實に的確な自然描寫が多いこと。即ち氏のデッサンがいかに正確であるかを實證してみたかった…」と書いている。この頃、東京に戻った小松は、幾度か会っていた井上靖とも親しく、伊豆にも一緒に旅行していたこともあり、小松の見た伊豆の風景であったからこそ、書けた「解説」であったろう。

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