3年ぶりの故郷ー命の洗濯

20日午後、ANAで故郷釧路に到着、3年ぶりに故郷の土を踏む。思ったよりも暖かい。21日昼、釧路市立図書館に行き『北方人』を届ける。毎回送っているが、今回は直接届ける。郷土資料室に、表紙が見えるように『北方人』のバックナンバーがすぐ手に取ることが出来るように置いてある。どれだけの人が見ているのだろう。3時30分からお世話になった永田秀郎先生の「お別れ会」続いて「しのぶ会」が、街の中心にある会場で開催される。


会場で、お世話になっている旧知の人たちに再会、挨拶。皆で永田秀郎先生をしのぶ。会場で未知の数人から声をかけられる。一人は、未知の人ではなく幼馴染のF氏で40年以上ぶりに再会、先日亡くなった作家原田康子さんの親類のひとである。このブログをいつも見ているとのことで驚く。また、永田先生のお兄さんで東京で出版社を経営し、知人の出している『映画論叢』に寄稿している評論家でもある永田哲郎氏にも挨拶。会のあとB氏と場所を変え、原田康子さんの手持ちの資料のリストなどを渡し、「しのぶ会」の打ち合わせなど。
22日夕方、九州から法事で帰郷しているI先生と待ち合わせ。以前、先生の講演を聞いて、会いたいという数人を連れていく。遅くまで歓談。

23日は、旧知の地元の古書店に行って色々話をする。故郷の状況を聞く。故郷の大学の先生や蔵書家が次々に亡くなり、大量の本がたまり、まだ買取をまってもらっているという。地元の文学関係の人たちの高齢化もすすんで、これからもっと増えるのではないかという。そんな時代になってきたのかも知れない。
24日、図書館で街をあげての「原田康子さんをしのぶ会」の準備会が午後からあり、中心になって準備を進めるB氏に出席を求められたが、知人の絵画の個展に行く予定があったので、開催前の会場で資料を渡して出席できないことをわびる。そこで原田康子さんの親類のF氏に会い、原田さんの訃報などを伝えるたくさんの記事のコピーをいただく。12月20日、「原田康子さんをしのぶ会」が正式に決まり。図書館では「原田康子展」、映画「挽歌」の上映も行われるという。故郷に大きな足跡を残された原田さんの、盛大な追悼ウイークになりそうである。小生、原田さんの「挽歌」当時の週刊誌などを寄贈し、展示してもらう予定である。今回の旅から帰ったら、札幌の道立北海道文学館から札幌で開催される「原田康子さんをしのぶ会」の案内状が来ていた。こちらは12月12日。どちらも出席できないが、遠くから原田さんを偲びたい。
26日、弟子屈に出来たという「更科源蔵文学資料館」にいく。釧路から列車に乗って釧路湿原の秋枯れの風景を眺めながら1時間と少し、摩周駅につく。駅からタクシーで資料館のある「釧路圏摩周観光文化センター」へ。大きな建物の一角にあったが、訪れる人もなくひっそりとしていた。以前弟子屈図書館に所蔵されていたものが、きちんと並べられていた。


27日朝、釧路からフライトし羽田へ。故郷の1週間、一度は雪の日があったが、穏やかな日々であった。久々の故郷でお世話になった皆さん。ありがとうございます。不在中、メールや手紙をいただいているが、ご返事はのちほどゆっくり書きます。