村岡花子のことなど

NHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」を見ている。最近は主人公の村岡花子より、九州の石炭王に嫁いだ白蓮の方が気になる。さて来週以降は、花子がいよいよ東洋英和女学校(テレビでは修和女学校)の高等科を経て卒業するのだが、その後どうなるのか?手元に、村岡花子の訳によるオルコット『八人のいとこ』(昭和35年、角川文庫)があり、そこに略歴が記されている。花子は卒業後、山梨英和女学校(現山梨英和女学院)に大正8年まで教鞭をとる、とある。ということは、故郷に帰っていたことが判った。

ここ数日、遠藤周作『作家の日記』(福武文庫)を読んでいる。1950年、遠藤周作はフランスのリヨンに留学するのだが、その2年と2ヶ月あまりの日記である。1950年8月5日、遠藤はフランス郊外のシャルトルに滞在している。そのひっそりとした大聖堂のある街のことを書いているのだが、いまから30年以上前に私もこの淋しい街を歩いたことがある。風が強い一日で大聖堂の美しいステンドガラスが記憶に残っている。それはパリに長期間滞在していたときの旅であったが、たしか森有正の本を読んで出かけたような気がする(当時の日記を読み返すと判るのだが、今は読む気力がない)。