小松伸六ノート㉚ 『文芸評論家・小松伸六の仕事』 補遺その1

昨年7月に、『没後十五年 文芸評論家・小松伸六の仕事』(北方文学研究会・編)を出して、1年近くなる。その間、いくつかの新資料を発見した。今回、補遺その1として、2点紹介する。

大野晋宮本常一・他編『東日本と西日本』(日本ディタースクール出版部)

ご遺族からお借りしていた大量の新聞、雑誌等の切り抜きのなかに、新聞小説のような横長の「東日本と西日本」と題した、1枚があった。書き込みがなく、どこに寄せたものかわからず、『没後十五年 文芸評論家・小松伸六の仕事』の年譜にも入れることができなかった。この著のあとがきを網野善彦が描いているが、これは『日本図書新聞』が1960年から61年にかけて、歴史、民俗などの、東西の日本の比較をテーマに多くの人たちが書いており、「文芸の風土」として、詩人の山本太郎、文芸評論家の尾崎秀樹、そして小松伸六が、九州と北海道の文学風土を論じた「多喜二と葦平」、大阪と新潟の文学風土を論じた「織田作と安吾」を寄せている。なお、この著は、東西日本の歴史、民俗などの比較論として売れたらしく、2006年11月には洋泉社MC新書として覆刻されている。

源氏鶏太『男と女の世の中』(新潮文庫)解説

小松伸六の文庫解説は100冊以上を数え、1番多い源氏鶏太の文庫解説は21冊あった。もうこれ以上ないと思っていたが、昭和45年10月刊の源氏鶏太『男と女の世の中』(新潮文庫)解説を発見し、合計22冊になった。当時のベストセラー作家源氏鶏太の文庫解説は他にもあるかもしれない。



『北方人』第38号を刊行しました

 

『北方人』第38号を刊行しました。

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目次

時評/藤井聡太王将戦を制す  将棋・囲碁の宝―――――――  大木 文雄(2)

創作/昭和十年生れは損をする(8)――――――――――――――― 通 雅彦(6)

評論/集団就職文学論ノート(5)―――――――――――――― 荒川 佳洋(14)

評論/夏目千代はまったくの新人か。―――――――――――― 川口 則弘(22)

随想/「生涯青春」―師・小宮山量平からの百通の手紙(1)― 盛厚三・編(28)

随想/佐野晶さんのこと―――――――――――――――――― 池内 規行(36)

書評/北方人の本棚 ――――――――――――――――――――――  K(27)

書誌/装丁挿話(14)――――――――――--―― かわじ もとたか(Ⅰ[59])

編集後記――- [K] (60)/表紙画・ドイツ絵葉書より/カット―川地 ポン

宮内悠介氏から『かくして彼女は宴で語る』(幻冬舎)が届く

 先日、作家の宮内悠介氏から『かくして彼女は宴で語るー明治耽美派推理帖』(幻冬舎)が届きました。全く心当たりがなかったのですが、送り主が奥さん。かつて彼女が主宰する詩の集まりで、明治末期に起こった若き芸術家の集まりである「パンの会」に参加したフリッツ・ルンプや伊上凡骨について話したのですが、その関係で贈ってくれたようで、文中にはフリッツ・ルンプが重要な人物として随所に登場、ルンプの師であった伊上凡骨も出てきます。

参考文献として、小生が「フリッツ・ルンプ物語――日本美術文化研究家。波乱の生涯」を寄せた『フリッツ・ルンプと伊勢物語版本』(2013年 関西大学出版部)、盛厚三『木版彫刻師 伊上凡骨』(2011年 徳島県立文学書道館)が載っていました。

帯には、「明治末期に実在した若き芸術家たちのサロン、その名も「パンの会」。隅田川沿いの料理店「第一やまと」に集った木下杢太郎、北原白秋石井柏亭石川啄木等が推理合戦を繰り広げる。そこに謎めいた女中・あやのも加わって――。」とあります。

出口えり氏が描いた挿画の表紙には、中央に洋人フリッツ・ルンプの姿が描かれているようです。明治末期に芸術への情熱を燃やした、青年たちの姿がいきいきと描かれています。是非読んでみて下さい

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『北方人』第37号刊行しました

『北方人』第37号を、半年ぶりに刊行しました。今号は、多くの力作があり、はじめて60ページの雑誌になりました。

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――目次――

時評/最新ドイツベストセラー小説―――――――――――――  大木 文雄(2)

創作/昭和十年生れは損をする(7)――――――――――――――― 通 雅彦(9)

評論/集団就職文学論ノート(4)―――――――――――――― 荒川 佳洋(26)

評論/橘外男をはるかに超える弟の犯罪――――――――――― 川口 則弘(32)

評論/文芸評論家・小松伸六覚え書②-太宰治と小松伸六―――-  盛 厚三(38)

随想/澤 啓祥社長のこと――――――――――――――――― 池内 規行(42)

書評/北方人の本棚 ――――――――――――――――――――――  K(25)

書誌/装丁挿話(13)――――――――――--―― かわじ もとたか(Ⅰ[59])

編集後記――-―――― [K] (60)      表紙画・カット―川地 ポン

小松伸六ノート㉚ 井上靖と小松伸六(補遺)

井上靖『樓門 他七編』(角川文庫)の「解説」について

 

今年の2月25日に、「小松伸六ノート⑰ 井上靖と小松伸六」を書いたが、これもその補遺。(https://kozokotani.hatenadiary.org/entry/2021/02/25/130551

小松伸六が、昭和31年に角川文庫から出た井上靖の文庫『楼門』に解説を書いていることを知ったのは、曽根博義先生が、講談社文芸文庫井上靖わが母の記』などに書いた著書目録の「楼門(解=小松伸六)昭和31 角川文庫」(曽根博義編)という記述だが、この著著目録にはいくつかの間違いがある。曽根先生には生前大変親しくさせていただいたが、文芸評論家・小松伸六の仕事を追うようになる前に急逝され、詳しくお聞きできなかったのは残念。その間違いと思われる個所は次の通りである(傍線の箇所が正しい)。

・『戦国無策』上下 昭和30年 角川文庫(解=小松伸六)

 『戦国無策』上下 昭和33 角川文庫(解=小松伸六)

・『暗い平原』昭和48年 中公文庫(解=小松伸六)

 『暗い平原』昭和48年 中公文庫(解=奥野健男

さて、角川文庫の『楼門』小松伸六の「解説」を読みたくて、埼玉県の県立図書館などで探したが、所蔵している図書館が全くなく、長らく出あうことができなかった。私にとっては幻の「文庫」であった(昭和43年に集英社文庫、昭和57年に潮文庫として出ており、井上作品は読めるのだが)。そして、ようやく最近、それも偶然に入手することができた。

昭和31年12月発行だから、まだ文庫にカバーが付く時代ではなく、当然パラカバー、帯だけであったと思われる。入手できたのは、時代を経たシミだらけで、背文字は読めない1冊だが、私にとっては貴重な幻の文庫である。署名は、旧漢字の「樓門」(新漢字だと「楼門」)、そして「他七篇」として「早春の墓参」「鵯(ヒヨドリ)」「落葉松」「氷の下」「楼門」などの短篇が収録されている。奥付には、昭和31年12月25日初版発行とある。

小松伸六が、始めて文庫に「解説」を書いたのは、前の年の深田久弥『親友』(角川文庫)で、この年の昭和31年4月10日には、同じく深田久弥の『贋修道院 他二篇』(角川文庫*実は未見)で、3冊目の文庫「解説」である。井上靖の文庫「解説」は、全部で9冊確認しているが、これが記念すべき最初のものである。小松が、戦後金沢から高崎を経て東京に戻り立教大学のドイツ語教師として勤めた42歳の時である。小松は、この文庫に収録された短篇8作品について、次のように書いている。

「これらの小説のどこかの隅に、ばらばらの姿になって隠れている井上靖という作家がちゃんとみいだされるのではあるまいか。(中略)井上靖という作家の精神史を全體としてもとらえることができるのであるまいか。」

「早春の墓参」の解説のなかでは、井上靖か書いた伊豆の風景を長く引用し、「この短篇が實に的確な自然描寫が多いこと。即ち氏のデッサンがいかに正確であるかを實證してみたかった…」と書いている。この頃、東京に戻った小松は、幾度か会っていた井上靖とも親しく、伊豆にも一緒に旅行していたこともあり、小松の見た伊豆の風景であったからこそ、書けた「解説」であったろう。

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小松伸六ノート㉙ 源氏鶏太と小松伸六(補遺)

 源氏鶏太と小松伸六(補遺)

 

今年の2月14日に、「小松伸六ノート⑮ 源氏鶏太と小松伸六」(https://kozokotani.hatenadiary.org/entry/2021/02/14/164325)を書いたが、その後ご遺族からお借りした大量の切り抜きのなかに、未見であった、『源氏鶏太自選作品集』(全20巻、講談社、昭和48年5月~昭和49年12月)の「解説」の写しがあった。今回は補遺として、その「解説」の詳細に触れたい。なお、「小松伸六ノート」では『源氏鶏太自選集』と書いたが、正式には『源氏鶏太自選作品集』である。「月報」に作品集の「解説」を入れるのは珍しいが、小松は『伊藤整全集』の付録(月報とは書いていないが)にも「解説」書いている。さて、『源氏鶏太自選作品集』の「月報」に収録された小松伸六の巻別の「解説」の詳細は次のようになる。

 

・『源氏鶏太自選作品集』第3巻(1973年6月刊)

    月報2「坊ちゃん社員・天下泰平」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第5巻(1973年9月刊)

    月報5「川は流れる・重役の椅子」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第8巻(1973年8月刊)

    月報4「実は熟したり・愛しき哉」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第9巻(1973年4月刊)

    月報1「天下を取る・意気に感ず」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第11巻(1974年5月刊)

    月報13「女性自身・男と女の世の中」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第12巻(1973年7月刊)

    月報3「堂堂たる人生・人事異動」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第17巻(1973年10月刊)

   月報6「若い海・:ほか短篇」(解説)

・『源氏鶏太自選作品集』第20巻(1974年11月刊)

   月報19「鏡・優雅な欲望」(解説)

 

今回確認できた小松伸六の『源氏鶏太自選作品集』の「解説」は8編。いずれも収録作品についての詳しい「解説」だが、他の巻もあるかも知れない。

もう一つ、小松伸六の源氏鶏太文庫「解説」は、確認できただけでも20冊を数えるが、最近また1冊発見した。『東京一淋しい男』(昭和42年1月刊、角川文庫)である。小松の「解説」の中に、興味深い箇所があるので引用したい。書き始めは、こうである。「文学散歩のような仕事で、くもった初冬のある日、富山に行った。富山市は源氏さんの生れ故郷である。」そして、源氏の生家を探すが、空襲で焼けたあとの街並みが変わり、見つからなかったという。「文学散歩のような仕事」というのは、昭和42年『小説現代』2月号に載った「文学観光案内2 北陸篇」のことだろう。そして、こう記す。

「私事にわたるが、私は北海道生れだから、そう思われるかも知れないが、源氏さんは、北方乾燥型の北海道作家と多少、似ていることがあるのではないかと思う。そういえばいまの富山は北海道の町とよく似ている。わたしはこれを必ずしも冗談として書いているのではない。たとえば北海道作家にみられるフロンティア・スプリット(開拓者精神)といったものが源氏さんの文学にみえるからだ。」

この小松の指摘は、あたっている。富山も港町で、戦前戦後、北海道の漁港には富山の漁船が大挙してやってくる時代があった。彼らは、北海道の港町に富山の大工を呼び寄せて家を建て、富山と北海道を行き来して過ごしていた。小松は、そのフロンティア・スプリットを、源氏文学のなかに感じ取っていたのである。

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企画展「没後15年 文芸評論家・小松伸六の仕事」開催中

釧路文学館での、企画展「没後15年 文芸評論家・小松伸六の仕事」、コロナに負けず開催中です。7月31日からはじまり、10月24にまで。期間中、様々な関連イベントがあります。

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9月12日(日)は、郷土史家によるトークイベント「北大通の記憶を伝える」と題して、文学作品の舞台として登場する北大通について聞くことができます。チラシの写真中央に、小松伸六の生家「小松商店」が見えます。

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