一箱古本市始末記

昨日の一箱古本市の始末記です。朝起きたら、埼玉春日部は晴れていて安心したが、車で東京に向うと雨が降り出しなかなかやまない。道路はすいていて、AM10時ごろに谷中の往来堂書店に着いたときも降っている。妻と娘は雨の中、谷中の散歩に出かける。開店の11時には晴れると思ったがダメだった。
往来堂書店さんに、雨よけのカーテンを張って頂き開店の準備。8箱の予定だったが1箱がこないので7箱で11時に店開き。今回は、同じ場所に出店され「肌色文庫」(いやらしい本ではなくこだわりの中公文庫だけの出品)の晩鮭亭を意識して、こちらは黄色いカバーのちくま文庫を中心に品ぞろいである。小雨が降リ続き出足が鈍い。店番が1時半なので途中から他の店を見に古書ほうろう方面に出かける。時間がなく、雨で店の中で一箱を出していた古書ほうろうを少し見たが、なにも見つけることが出来ずそのまま引き返す。

帰ったら、晩鮭亭さんが「古書北方人」を訪ねて女性の方が来て本を2冊ほど買われたという。どんな方か思い当たらず。午後になって、黒岩比沙子さんが来られて少し文学談議、その直後にナンダロウさん自転車でやってきて、前橋の津田さんが来ているという。話をしている最中に津田さんが来店、初対面だったので色々話し、丁度いらした黒岩さんを紹介、津田さんには、武藤康史さんの『水夢抄』を頂き、今回の貧しい一箱から2冊買っていただく。打ち上げにもお誘いする。一時雨が上がり、道路側に一列に並べ変える。順調に売れ出すが、やはり例年のような盛り上がりは感じられない。
そんな時、午前中に来られたという女性の方から声をかけられる。中戸川吉二の妻であった中戸川富枝の親類だという。一瞬、なぜこんな方が私の目の前に居られるの理解できず、ただただこちらの方が動揺してしまう。良くお話を聞くと、いつも私のブログに中戸川吉二や妻の富枝を書くと御覧になっていていたという。今回、この谷中の一箱古本市に私が出店することを知ってワザワザお住まいの町田市から訪ねてきて下さったのだ。昭和20年代の新聞の切抜きと思われる「房総文学散歩30、中戸川富枝と鴨川」という記事のコピーもいただく。これから色々教えて頂きたく住所の交換をする。新聞は貴重な資料なので、小谷野敦先生にも送ろうと思っている。とにかく一箱古本市を通してこんな出合いがあることに驚いている。
途中また雨が降るなどあったが、3時過ぎになってようや日がさす。それにしても雨のなかたくさんの人に来て頂き、なんとか持ってきた半分以上が売れた。買った本は、同じ場所に出していた「Tef Tef」さんから、『東京人』1冊のみ。
4時無事終了。荷物を不忍通りふれあい館に預け、近くの中華屋で遅い昼飯を食べる。6時からの打ち上げに参加、箱を見ることができなかったモンガ堂さんらに久しぶりに会う。各賞、売上げ金額、冊数の発表。わが北方人、ベストスリー入りをめざしたが今回は敗北、一位でも100冊にとどいていなかったが、わが「古書北方人」は73冊、たぶん5−6位あたりか(あとで、ナンダロウさんに「古書北方人」の時代は終った、これからは3位になった「モンガ堂」の時代と言われたが)、品ぞろいの反省も感じている。
今回は、いろいろ事情があってお手伝いが出来なかったが、大家の往来堂書店さん、スタッフ、助っ人の皆さん本当にありがとうございました。
そのあと、近くのインド料理屋で宴会、「嫌記箱」の塩山さんは一足早く店にきていて、顔を見るなり痩せたといわれる。おまけに、なんで小谷野敦先生とつながりがあるのか不思議だという。塩山さん、小谷野先生のブログを見ているらしい。最年長ということで私に乾杯挨拶の指名があり宴会が始まる(来年は引退すので塩山さんに渡すが?)。向かいには岡崎武志さん、その横には「岡崎武志賞」を受けた「Tef Tef」さん。そんな写真も撮りました。となりには、いつも助っ人として手伝ってくれるドイツ人の青年(フリッツ・ルンプのことは知らないので、色々教えてあげたが)、斜め向かいには嵯峨女史と、時には文学談議を織り交ぜながら楽しい時間を過ごす。

岡崎武志さんと「Tef Tef」さん

Tef Tef」さんとドイツ青年

11時近くに終り、電車の中で、次回ための「傾向と対策」を考えながら、帰宅は12時過ぎ。とにかく充実した一日を過ごす。
今日は、結婚後初めて息子夫婦が来る。一緒に義母の見舞い、帰りに「ブ」に寄ったら雑誌半額セール、『バウハウス』などデザイン関係の図録など5冊ほど買う。明日から『北方人』の最後の追い込み。もう少し!!