小谷野敦氏の『猿之助三代』を読む、そのⅡ

2代目市川猿之助とフリッツ・ルンプの接点は、やっぱり「パンの会」のようである。木下杢太郎の「パンの会の回想」に、明治42年のことだが「十一月二十日 パンの会、三州屋。長田、柳、吉井、猿之助、南、高村、永井、山崎、谷崎、武者小路、小宮、島村、柏亭、青山、一平其他大勢。この会は黒わく事件といふので有名であつた」と出てくる。また、吉井勇が『近代風景』(昭和2年1月号)に書いた「パンの会の思ひ出」に、「それは自由劇場の第一回の試演の直ぐ後時分のことで、市川左団次市川猿之助君も出席した」とある。ただ、ルンプが最後に出た「パンの会」は10月23日で、この日は、ルンプ帰国の送別会である。ということは、猿之助が、「パンの会」に11月20日以前にも来ていたとも考えられる。
また『猿之助三代』を読むと、昭和5年1月に、「猿之助のドイツ行きの話があったが資金難のため流れた」(P106)とある。昭和4年にルンプは3度目の来日をしており、2人は再会している可能性がある。このとき、ルンプがドイツに誘ったかもしれない。そのころと思われる、歌舞伎の楽屋を訪ねたルンプの写真も残されている。