摩周湖に来た久米正雄

先日釧路で、「釧路を訪れた文人たち」と題して講演したが、田辺茂一の「釧路の女」(『世話した女』昭和28年12月、創元社、所収)の話もした。田辺は昭和23年、寒川光太郎、田中冬二、福田清人らと釧路に来ている。じつは「釧路の女」のなかに久米三汀(久米正雄)のことが出てくる。釧網線川湯駅(今は摩周駅になっている)から摩周湖を見るために駅でハイヤーを頼む。「駅長室の壁に、この間亡くなった久米三汀の色紙がかかっている」とある。その句は「秋の湖 鳥も怖るる 蒼さかな」とある。摩周湖に来たと思われる久米正雄の句だが、久米がいつこの地に来たか調査中。大正5年10月に母と大沼には行っているのだが、はたして阿寒地方まで足をのばしたのか?それとも偽者の久米正雄がきたのか?今のところ、小谷野敦久米正雄伝』を見ても解らない。