久しぶりに国会図書館

昨日(25日)、久しぶりに国会図書館に行く。いま書き続けている「フリッツ・ルンプ物語」の資料の確認のため。入り口で、「登録利用者カード」の発行が必要といわれ、20分ほどかかる。以前は自分で入力して、簡単に入館できたのに(これからはスムーズに入れるとのことだが)。資料は、パソコン入力で出してもらうが、以前の画面と少し違うので手間取る。デジタル化された資料が2つ、パソコンで画像を表示し、そのページを指定して、プリントアウトしてもらうのだが、その手続きが大変、一つは、係りの人に聞きながら手配したが、もう一つは失敗。本当に年寄りには至難の業で、丸一日を使ってしまった。これから全部聞きながらやろうと思う。
もうひとつ、確認したかった資料は第2次『食道楽』。ルンプが4回目の来日したときの写真があるのだが、正確な日付が知りたかったのだ。昭和4年4月17日の東京神楽坂下「牡丹」で行われた「第1回 東京食道楽会」(下の写真の一番右がフリッツ・ルンプ。40人の出席者リストに名前がある)。

その復刻版があり、全部調べていたのだが、ルンプのことを語っている思わぬ座談会を発見する。昭和3年6月号の『食道楽』、「第六回 食道楽漫談会」の「フリツツルンプ」という見出しのなかで、大阪朝日新聞社の大道弘雄(当時文化部、こ人物多くの著書があるが、戦後も幅広い活躍をしている)がこんな発言をしている。3回目の来日時のことである。その来日の目的など、はじめて知ることが出来た。一寸長いが、一部を引用する。

大道 日本料理を西洋人に理解させるのには大分骨が折れるでせうが中には西洋人でとても日本料理の愛好者が居ますね。私の知つてる独逸人にフリツツルンプと云ふ人が居りますが、この人は大戦前から来朝してゐましたが戦争と同時に捕虜となり習志野にゐました。日本に居たのはたつた四五年間ですが之がとても日本趣味に凝つた人で、元来が演劇研究家ですから日本の芝居や絵画なんぞを盛んに研究してゐましたが殊に黙阿弥物の研究をやつていました。向ふへ帰つてから『日本の着色木版画の歴史』とかいふ浮世絵に関する大研究の大冊を著しましたが、日本価で三四十円もするべらぼうな本です。其の後昨年又来朝しましたが、例の盲暦等の珍しいコレクシヨンをやつてゐる独大使のゾルフ博士の日本コレクションの整理の為にやつて来たのです、来年になつたらまた来ると云つてゐましたが(中略)、
何でもこの秋独逸のライプチツヒで世界の料理博覧会があるさうで、未だ詳しい報道が入つて居ませんが随分大掛りなものらしいのです。それに先生、何か出品する積りで今春帰る折、東京大阪の朝倉屋や鹿田なぞで日本の古い料理に関する本なぞを大分買込んで帰りました。この人は演劇や料理ばかりじやない、日本の事ならあらゆる方面に亘つて何でも好き何ですね、こんな西洋人も尠いでせうが、そりや、まるで半分以上日本に居た訳ぢやないのに日本語は自由にペラペラやる。伊勢物語に面白い絵があると云ふ事を聞き出してはそれを探し廻つたり、日本の舞踏に傾倒して、いつかもあちらで舞踏に関する発表もやりましてね、世界で舞踏の一番進んでるのは日本だ、二番目がロシア、三番目がスペインか、そんな事を云つてあちらで反感を買つた事があるんです。
(中略)勿論文楽なんかも大好きで所作事では猿之助の百物語が別していゝとか云つてゐました。欧州へ日本の歌舞伎劇を持つてゆく為に大分奔走してゐましたが未だ成立せぬ中に今度の左団次のロシア行きと云ふ事になつたんです。実に愉快な奴なんです。こんな毛唐には私も初めてですがね。

今日、東京マラソンで息子が走った。テレビで見ていたが、どこにも見ることができなかった。パソコンで、通過地点のタイムを見ることができるのだが、4時間40分29秒で無事完走、よく走ったと思う。何事もなく一安心。