小宮山量平先生逝く

創作児童文学を育てた、理論社元社長の小宮山量平先生が13日朝に亡くなった。95歳だった。うかつだったが、札幌のY先生からの電話ではじめて知った。
私の文学的な出発は、小宮山先生との出会いからはじまっている。20年ほど前、ある人の評伝を書くために、交友があった先生を、幾度か神田にあった事務所に訪ねて話をうかがった。その後、釧路湿原近くの鶴居村でシンポジュムを開催し、講師として来ていただいた。理論社顧問の時代には、上田市に先生を訪ねてたくさんの出版した書籍のなかでお話をうかがった。作家として書いた『千曲川』の出版記念会を、安曇野で開催されたと時には家族で出かけた。その本が路傍の石文学賞の特別賞を受賞したときに、その席に招かれ、多くの著名な作家たちの姿を目にしたこともある。そんな事を思い出していた。いつもお便りをいただいていたが、昨年12月22日の便りが最後になった。そこには、こんなことが書かれていた。

「挽歌」物語を拝受しながら、お礼言上をおくらせましてすみません。じつは96歳を眼近したジイサンにしては、珍しく新企画の核ともなるための存在のため在京が永引いておりました。最近の大学が、すっかり職業の予備校化しまったことに抗し、ゴーリキイ翁に習って《私の大学》という企画の中心になってしまいました。来春には、私の《映画(シネマ)は〝私の大学〟でした》を核として『チャップリン』や『良寛さ』などに新しい息を吹き込む作業に逐われそうです。『挽歌』には、私よりもカミさんの方が思いました、が、やはり私の方が、同時代人として、親しませていただくこととなったようです。(以下略)


老いても、新しい企画に情熱を傾けていた先生、亡くなる前、「さようなら。また会いましょう」、この言葉を「文書にして皆に伝えるように」と家人に伝えたという。先生、「さようなら。また会いましょう」。いままでのご指導、本当にありがとうございました。様々な訃報の記事がある。三つほど紹介する。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0413/TKY201204130322.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20120413/KT120413FSI090019000.html
http://mytown.asahi.com/nagano/news.php?k_id=21000001204140001