悲しみの北海道

しばらく、ブログを更新しなかったが、少なからず理由があった。1年半前に、脳腫瘍で倒れた義弟が、余命1年と宣告されていた。昨年末に意識不明になり、点滴を続けていたが、2ヶ月後の2月26日に亡くなった。翌27日にフライトし、故郷の北海道釧路に帰り、通夜、告別式、そして初七日を終えて帰ってきた。定年まで地元の新聞社に勤め、彼が担当する文化欄では誰もが認める活躍を残した。私の『「挽歌」物語』の最終校正をしてくれたのも彼であった(その直後に倒れたのだが)。趣味に日本画を描き地元の美術団体の会員でもあった。通夜、告別式には300人あまりの人が、故人を偲んでくれた。いろいろ世話になり、本当にご冥福を祈りたい。
ある著書の、大量の原稿を抱えていたが、なかなか進まない釧路行きだった。現地でも東京からの電話で、いくつかの追加原稿の依頼もあり、図書館などで調べものなどしてきた。帰ってから、昨日原稿を作りメールで送ったが、次の原稿も控えている。ただ、一昨日より腰に激痛が走り、動けない状態が続いていたが、なんとか少し痛みが取れて安心する。不在中に、「フリッツ・ルンプ物語」の第3稿の校正も来ていたが、これも無事送った。
故郷は、いつもよりも雪が多いようだった。3月3日は、私の行っていた道東は、台風なみの低気圧に襲われ、吹雪で痛ましい事故も起こった。ただ、釧路は強い風だけで、雪は降らず大きな事故はなかった。数日世話になったところと、街の大通りの風景の写真を載せておく。

道路にはラッセル車が走っている。

大通りには、こんな雪の像が。