広津和郎と五代友厚

NHKの朝ドラ「あさが来た」の中で、五代友厚が酒を飲みすぎて死んだが、それは事実らしい?。事実でないとすれば、彼は独身でなく、二度結婚してそれぞれに子どももいたこと。
そして、先日読んでいた広津和郎『年月のあしおと』(上巻、講談社文芸文庫)に五代友厚のことが出てきて、「びっくりポン」であった。

昔父が若かった頃、大阪の五代友厚農商務省に入れられたことがある。父の父が五代と親しかったので、一時父は五代家に引き取られてそこで暮していた。そんな関係で五代に農商務省に入れられたのである。しかし官吏になって出世しようという気持のなかった父は、なんとかして役人を辞める方法はないかと思って、無暗にサボったり、前掛をしめて役所に出かけたりした。それは免職になることを望んだからである。辞職するということは、五代に対して出来ないが、役所の方から免職にしてくれれば、申訳は立つと考えたわけである。それでとうとう思い通りに免職になった。

広津和郎の父は、明治期に活動した硯友社の小説家・広津柳浪である。もし、広津の父が五代家の養子にでもなっていたら広津和郎の人生は変わっていたのかもしれない。

年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)

年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)