小松伸六ノート㉘ 小松の文庫「解説」その2

直木賞作家藤原審爾黒岩重吾と小松伸六

直木賞受賞作家の文庫「解説」については、すでに川口松太郎源氏鶏太新田次郎城山三郎司馬遼太郎水上勉五木寛之渡辺淳一については触れたが、今回の作家は『罪な女』で第27回直木賞を受賞した藤原審爾と、昭和36年に『背徳のメス』で第42回直木賞を受賞した黒岩重吾の2人である。その小松の文庫「解説」についである。

 

藤原審爾((ふじわら しんじ、1921~1984

純文学から中間小説、そしてエンターティメントまで幅広く活躍した藤原の、小松の「文庫」は、下記の8冊ある。

藤原審爾『結婚までを』(1978年、集英社文庫

藤原審爾『黒幕』(1978年、角川文庫)

藤原審爾『秋津温泉』(1978年、集英社文庫

藤原審爾『おそい愛』(1978年、講談社文庫)

藤原審爾『死にたがる子』(1981年、新潮文庫)

藤原審爾『わが国女三割安』(1983年、徳間文庫)

藤原審爾『誰でも愛してあげる』(1983年、徳間文庫)

藤原審爾『私は、ヒモです』(1985年、徳間文庫)

やはり、第21回の直木賞候補になった『秋津温泉』の「解説」が興味をひく。小松がこの作品に出会ったのは金沢時代で「昭和二十三年当時、私は北陸の古都といわれる非戦災都市金沢にいて、これを読んだが、若い情熱のにじみ出た甘味のメルヘン「秋津温泉」に目を洗われる思いがした」と、そして「こんど集英社文庫に入ったのは、私には望外の喜びである」と書いている。また、『死にたがる子』は、子供の自殺をテーマにした小説だが、小松は、金沢時代に自殺した教え子の自殺を回想する。なお、小松の『私は、ヒモです』の「解説」で、この短篇集のなかにある「庭にひともとの白木蓮」の主人公が、山田洋次監督の「フーテンの寅さん」の原型であること始めて知った。なお山田洋次は、「藤原学校」と呼ばれる勉強会の一員であった。

 

黒岩重吾(くろいわ じゅうご、1924~2003)

社会派推理小説、風俗小説、古代史を題材にした歴史小説など数多くの作品を残した、黒岩重吾の小松の文庫「解説」は8冊を数える。

黒岩重吾象牙の穴』(1977年、新潮文庫

黒岩重吾『大いなる変身』(1977年、角川文庫)

黒岩重吾『女の熱帯』(1978年、角川文庫)

黒岩重吾『我が炎死なず』(1978年、講談社文庫)

黒岩重吾『西成十字架通り』(1979年、角川文庫)

黒岩重吾『愛の装飾』(1979年、講談社文庫)

黒岩重吾『背徳の伝道者』(1979年、中公文庫)

黒岩重吾『木枯しの女』(1982年、角川文庫)

小松が残した黒岩の文庫「解説」は、1960年から70年代の作品がほとんどである。やはり、直木賞受賞作『背徳のメス』の系譜に位置する『背徳の伝道者』の「解説」が気になる。最初に、「かりに〈光〉と〈影〉の作家があるとすれば、黒岩重吾は、もちろん後者のがわにいる作家だと思われる。少なくとも彼は〈光源の信仰者〉ではない。背徳の世界に生きる〈人間悪の伝道者〉である。彼はつねに〈闇〉の言葉で語る。」と、黒岩の文学を語る。黒岩は、この『背徳の伝道者』は、直木賞受賞から10年目に発表された4作の短篇が収められている。小松は最後に、「以上四篇とも〈作者不在〉の小説は一つもなく、自分の内部に秘められた力を探求している作品であることを読者は知ってほしい。」と書く。なお、かつて住んだ釜ヶ崎地下無の西成を舞台にした『西成十字架通り』(角川文庫)は、入手困難でいまだ未見、どのような小松の「解説、があるのか、興味深い。

f:id:kozokotani:20210611101307j:plain