竹久夢二の作品か?

フリッツ・ルンプのことで色々お世話になっている、ドイツベルリン在住のK女史が、天理大学でのシンポのために帰国されていた。23日、東京日本橋丸善3階のコーヒーショップで待ち合わせ。実は初対面であったが、長い間メールや手紙のやり取りをしていたので、そんな気持ちにならず、すぐに打ち解けて2時間ほどお話をする。
そのなかで、ひとつ大きな発見があった。フリッツ・ルンプの遺品のノートのなかに竹久夢二の作品と思われるものが貼ってあって「ルンプ図録」に載せてあるという。家に帰って改めて図録を見ると、たしかに夢二の作品のようである。

ノートには、1916(大正5)年大分とあるから、大分俘虜収容所時代。師匠であった伊上凡骨竹久夢二の作品を彫っており、彼からもらったものか?それとも、当時の雑誌から切り抜いたものを貼ったのだろうか。
それにしても、1932(昭和7)年には、ドイツベルリンで、夢二はルンプと会っている(『夢二日記』)ので、そのときのもらったものをノートに貼り付けたのか(とても考えられないが)。そんなわけで、2人の関係について改めて調べなくてはいけない。